LEICA M-Pを手にして2ヶ月が経ちました。

LEICA M-P + Nokton 50 / 1.1 (フィルム風現像)

「そう、こんな写真が撮りたかった」

LEICA M-P + ZEISS Tessar 45 /2.8

jpgの撮って出しでも、RAW現像でも、独特の柔らかな質感が残ります。高コントラストながらもシャドウとハイライトが粘る。

線で描く日本画と違う、色を載せる絵画のような絵作りは、他のどんなカメラでも出ない。

このテーブルフォトはCONTAX / ZEISSのレンズをアダプターで使ったもので、レンズはLEICAじゃありません。

にもかかわらず、しっかりとM-Pらしさがあります。

この色が本当に美しくって……日本の一般家屋の寝室で適当な外光で撮ったとは思えない、不思議な優しさがあります。

LEICAを使えば、楽しい。

LEICA M-P + ZEISS Tessar 45 /2.8
LEICA M-P + ZEISS Tessar 45 /2.8

寄れない、手振れ補正も無い、AFも無い。露出補正もライブビューにしないと確認できない、連写も遅い。ISOも6400が最大。2020年のミラーレス基準で言うと、スペックはゴミです。それでもLEICA M型を使う理由は、

撮ることが楽しい。撮れる画が美しい。

これはもう、実際に手に持って一枚シャッターを切ってもらえばわかります。

今までのカメラは何だったんだ?

と思う程に、感覚が異なります。

演奏家にとっての楽器の様に、自分の体の一部になってくれます。

説明書や何百項目もあるメニューなんて無いし、そもそも要りません。

写真に限った話ではありませんが、「ものづくり」の際に余計なことを考えている余裕なんて無い。一瞬を捉えるか、永遠に失われるかの二つに一つ。それを私たちは捉えなきゃいけません。

絞りとSS、ISOにフォーカスリング。

覚えなければいけないのはこれだけ。写真家ならば一目見ただけで使い方を理解するでしょう。

あとは買ったその足で世界へ出ていき、自分のセンスを発揮できる。それが芸術に使う道具の存在意義で、LEICAの真骨頂。

操作性や機能性も考え抜かれており、不要なものは一つもありません。失敗したら、それは撮り手が下手だという事。だって、全く同じLEICAを使って歴史に名前を刻んだ写真家がぞろぞろいるんだから。

なんの言い訳もさせてくれませんが、自分が上手くなればそれに応じた写真を吐き出します。

写真という表現を追求したいと願うならば、M型LEICAは一番の先生だと感じます。

デジタルライカの意義

LEICA M6 + SUMMICRON 50 / 4th

以前はM6も使いましたが、幼いころからデジタル写真や映像に親しんだ私たちの世代にフィルムの解像感はさすがに粗すぎます。その粗さを狙って使う場合はともかく、現像代の事もあり「遊び」の域は出ません。屋内やミックス光での撮影が難しいというのも難点ですね。

対して、デジタルであれば使える範囲は一気に広がります。

どんなにいいカメラを買っても、インテリアとして買ったわけではない以上は撮らなきゃ意味がないわけで、この点でデジタルライカは私にぴったりでした。

「今そこにしかないものを、ありのままに美しく遺したい」

という私の願いに最高の形で答えてくれるのが、ライカMシステムでした。

フルHDとはいえムービーも撮影でき、そこでもM-Pの優しい質感が光ります。

写真には写真の、映像には映像の良さがありますから、写真だけにこだわるつもりもなく、どちらも使って大切な時間を遺していこうと考えてます。

本当に……僕の為に作られたのかと思う程、馴染んでいます。どんな最新鋭カメラでも出せない味が最高で、新しいカメラボディを買う気が全く起きません。

代わりに……LEICAと銘のつくレンズばかり調べています。笑